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| 2004年04月をもって安田町は合併し阿賀野市になりました。古き良き時代を残そうと思い作りました。 この写真を見ると先人の苦労が伝わります。まだまだ未完成ですが、徐々に追加しようと思います。 あなたの所にある昔の写真があったら、御一報くだされば載せたいと思っています。 ※ 右側の写真と位置が異なる場合、掲示板にでもお知らせください。 n |
| 旧保田小学校 (昭和 49年) 昭和38年の火災により鉄筋3階立ての校舎に生まれ変わった 左下に見える建物は臨時の校舎のちに保田幼稚園となる。 この頃に通っていた人多いのでは? |
焼失以前の旧保田小学校 (昭和 35年) 昭和38年に放火によって一部焼失する以前の小学校 |
| 焼失前の旧保田小学校 (昭和 30年) 中央の校舎が火災で焼失した。 |
保田幼稚園 (昭和 39年) 火災のため児童は分散授業を余儀なくされ、焼失校舎の残材を利用して臨時校舎を建築した、のちに保田幼稚園となる |
左は教師用玄関、中央は用務員室と保健室、右に児童用玄関 |
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| 旧保田小学校正面玄関 (昭和 59年) | 現在の保田小学校 |
| 初代池田屋付近 (大正 初期) () | スナックシャレードから役場方向 |
| 中央の道路は水路から本町への通りで、人力車が何台か見える | |
| 上記と同じ中町交差点 (昭和 42年) | |
| 後方に加藤ショッピングが建設中なのが解かります。角の市川電気店で初めてカラーテレビを見て感動した覚えがあります。 | |
| 中町交差点から八幡様方向 (昭和 40年) | |
| 道路の中央に小川が流れていたんです。ここでよく洗濯しているのをよく見かけました。 | |
| 吉田東伍博物館前 (昭和 43年) | |
| ほしもの竿のようなものは以前、露天市場がここにありテントの屋根を張るためのもの | |
| 宮町 (明治 初期) | ついに見つけました安田最古?の写真 |
| 保田小学校前から八幡様方向でした m(__)m 奥の林の中に八幡神社があります。 |
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| 火の見やぐら (昭和 13年) | 小さい頃この辺でよく遊んでました。 |
| 鉄骨のやぐらは取り壊され、半鐘の響きもサイレンに変わった。浦町の渡辺医院前 | |
| 初代安田橋 (大正 5年) ()) | 現在は当時の杭だけが残る。 |
| 大正4年渡場地内に竣工したが昭和33年大洪水で流失、同39年に2代目の橋が下流に出来、現在は3代目の橋です。この写真は竣工する前の橋脚のゴミ除け作業 | |
| 初代安田橋竣工式 (大正 5年) | 五泉側には笹堀に繋がっていた。 |
| 工事に関係した立川県会議員や鶴巻技師らの顔が見える。 | |
| 初代安田橋 (大正 5年) | 2代目安田橋竣工式 (昭和 24年) |
| 3代目安田橋 (昭和 39年) | 4代目安田橋 現在 (平成 7年) |
| 図書館と公会堂 (昭和 7年 ) | 安田農協前から旧49号へ |
| 本斎藤家徳太郎氏の寄贈によるものであったが、昭和21年焼失した。 右端にみえるのは現在の鈴木たたみ店 |
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| 二本松 寛文元年 (1661年) | 本当にあったのですね。 |
| 松平大和守(村上藩主)に願って用水ため池を造成したが、後年その名残りをとどめようと工事奉行であった里美久右門が、土手に二本の松を植えたものである。安田近郷の名所で、小学校の遠足に最適だった。戦後枯れてしまった。 | |
| 寺社の一本杉 (昭和 24年頃 ) | 現在寺社小グランドに記念碑が建てられている。 |
| 寺社近郷の名所であり、小学生や同級会などの記念撮影に格好の場所であったが昭和25年の突風で倒れた。 | |
| 上野林 (大正10年頃) | 現在は安田産業団地 |
| 一面の松林は本斎藤家の地所で、秋になるとマツタケなどのキノコが豊富に採れた。この道は二本松を経て大室に至る | |
| 安田町役場 (昭和13年) | |
| 大正7年に建てられた。右端に旧本斎藤家の堀が続く。 | |
| 保田郵便局 (大正 7年) | 現在はとんちゃんのとなり斎藤酒店倉庫 |
| 当時の局長は斎藤貫太郎氏で、この局舎は昭和24年まで使われた。 | |
| 38豪雪 (昭和 38年) | 小松屋酒店前 |
| 新潟県の38豪雪は毎日、屋根の雪降ろしをしなければならず、車がまだ少なく道路に雪を降ろしていた。 | 当時は大変狭い道路でしたが現在は広くなりました。 |
| 38豪雪 (昭和 38年) | この頃のつららは1m以上ありました。 |
| 2階から出入りしたり、雪の階段を作り玄関に入るほどの豪雪だった。 | |
明治18年失火により全焼した |
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| 保田小学校 (明治30年代) | |
| 明治6年創立、同14年に現安田中学校敷地に校舎を新築したが、同18年失火により全焼した。これは同30年に新築された和洋折衷校舎で、当時は保田尋常小学校と称し、組合立保田高等小学校を併置していた。同校が保田尋常高等小学校と改称するのは同35年である。 | この校舎はそのまま大和小学校に移設されることになる |
保田小学校が現在の場所に移り跡地が初代安田中学校になる |
正面玄関前の石碑の中に昭和天皇の写真が入っていて 火災が起きても大丈夫なようにコンクリートで出来ている、 菊の御門が解る、必ず礼をして校舎に入ったそうです |
| 旧安田中学校 (平成 4年7月18日) 前校舎告別式 |
新安田中学校 (平成 5年8月28日) 新校舎完成内覧会 |
| 旧安田分高校 (定時制) (昭和 40年) 通称、源四郎大学と呼んでいた、私が子供の頃安田に大学があるってすごいとおもっていました。 |
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| 寺社尋常小学校 | |
| 明治14年堀越校から分離して創立。今の寺社小学校の前進で、大正元年現校地へ新築移転した時の校舎全景。 | |
| 寺社小学校 | |
| 大和小学校 (昭和 9年) | |
| 明治14年創立であるが、同6年民家を借りて聞水舎として開学した記録が残る。これは保田尋常高等小学校大和分教場と称したころの校舎で、保田小学校前校舎を移転改築したもの。 | |
| 山手小学校 | |
| 赤坂小学校 | |
| 寺社の福隆寺 (昭和 初期) | |
| 真言宗寺院。鎌倉時代以前は千手院といい、時の将軍源頼朝より寺領を賜って以後、福隆寺と改め現在に至る。本尊は大日如来で、本堂は1863年に再建された。昭和41年瓦屋根に葺き替えられた。 | |
| 寺社の観音堂 (昭和 初期) | |
| 安永5年(1776)宗厳代に再建された。本尊は行基作の千手世観音菩薩で、蒲原三十三観音第一番礼所である。屋根は戦後、瓦に葺き替えられた。 | |
| 考順寺 (大正 初期) | |
| 宮町の八幡神社に隣接していたが、昭和25年現在地に移転し、写真の建物は同年に現在の出湯華報寺の本堂に造り替えられた。 | |
| 安田村社八幡神社 (昭和 初期) | |
| 八幡宮大菩薩は弥生時代の人で神武天皇即位後、第17代目の天皇 応神天皇を祭った神社で弓矢の守護神として武士が氏神として祭った。 |
八幡宮は鎌倉幕府を開いた源頼朝が鶴岡八幡宮を拠点として各地、豪族が源頼朝に従い全国に広まったがライバル関係の東北の雄、藤原家を滅ぼした為東北には八幡宮は少ない。 |
| 安田村社八幡神社祭礼 (昭和 初期) | |
| 安田巡査部長派出所 (昭和 7年) | 現在、安田民俗資料館に移設して現存 |
| 竣工式の記念写真で、本斎藤家徳太郎氏の寄贈によるもの。 のちに安田診療所となる。 |
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| 初代タクシー (大正 7年) | 金澤屋の向かい。 |
| 看板は「水原駅ー安田間 安田自動車」と読める。 2台の車はいずれもフォードの普通乗用車。 |
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| 乗合自動車 (バス) (昭和 4年) | |
| 保田ー五泉間を連絡したシボレー車で、女性の車掌が添乗した。左のめがねをかけているひとは藤崎氏 | |
| 普通乗用車 (昭和 4年) | B&Gプール前 |
| 水原街道大曲り付近で車はホイペット車である。 | この道は昔は国道49号だったんです。 |
| 乗合自動車 (バス) (昭和 11年) | |
| 18人乗りで、保田ー水原間を運行した。運転手は寺社の百都氏 | |
| 慰安観桜会 (昭和 8年) | |
| 本斎藤家では毎年春になると盛大な慰安会を催し、同家の番頭をはじめ、出入りの職人や常人夫などの従業員を待遇した。 | |
| 新江の桜 (昭和 初期) | ウインディから砂山に行く橋 |
| 近郷に名高かった新江の桜も、戦時中に薪炭用として伐採された。 | |
| 八幡神社祭礼 (昭和 10年) | 中学校前 |
| 祭礼の全盛時代で、御神輿が各町内を巡り、米や初穂をあげて神社に参拝した。 | 私が中学に通っていた頃にはまだ火の見やぐらと消防小屋がまだあった |
| 八幡神社祭礼 (昭和 10年) | この頃の棒組の宿は勘六商店 |
| 郷土芸能のひとつ“棒組”の演舞。新町通り。 | |
| ジャリ船で修学旅行 (昭和 23年) | ジャリ船で修学旅行には驚いた。 |
| 船で新潟まで修学旅行に出かけた大和小学校4年生以上の生徒たち。 見学先は万代橋と百貨店で、各自が昼食と味噌、醤油を持参した。 |
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| 海軍飛行機不時着 (大正 14年) | |
| 空母「鳳翔」の艦上機が、飛行訓練中に阿賀野川の渡場に不時着、大破した。 | |
| 八幡様にて出征祈願 (昭和 14年) | 現在の八幡様と当時と変わっていない。 |
| 小浮部落の人たちが出征兵士を保田八幡様まで送り、必勝祈願を行った。 | |
| 釈尊降誕祭 (昭和 8年) | |
| お釈迦様の誕生日を祝っておこなわれ“大聖釈尊降誕祭”と染め抜かれた大旗を先頭に続く人々。巨大な象は稚子たちが引いた。 | |
| 安田村役場竣工式 (大正 7年) | |
| 新築になった庁舎と“だんごまき”に集まった人たち。傘を逆さにしたり、綱を出して待ち構える人もいる。昭和45年現庁舎に改築された。 | |
| 旧庁舎告別式 (昭和 44年) | 安田町役場 (昭和 45年7月)完成 県庁でさえ冷房設備が無かった当時 県内初の冷暖房完備された庁舎はここから始まった |
| 全国最年長の市長になりました | 現在の安田中学校グランド |
| 消防団によって行われた安田尋常高等小学校のグランド整備作業 | |
| 初代阿賀野市長 本田富雄 (82) 選挙事務所前 当選直後の挨拶 2004.04.25 |
初代阿賀野市長 全国最年長の市長になりました |
| 合併に伴い元安田町長、本田富雄氏と元水原町長、五十嵐雄介氏の二分する選挙でしたが4000票差で本田富雄さんの勝利、本田さんの右隣りは帆苅県会議員、元京ヶ瀬村長米山氏、左隣りは元笹神村長佐藤氏。 | 全国最年少の県知事に対して全国最年長の市長共にがんばってください |
| 国道49号安田バイパス開通 (昭和60.11.19) | 大相撲安田場所開催 (平成02.08.11) |
| 磐越自動車道新潟ー安田間開通記念イベント 開通記念イベントで車を通す前に橋までウォークラリーに集まった、入り口前には数多くのアトラクションが開催された |
磐越自動車道新潟ー安田間開通記念イベント 平成06.07.17 |
| 町立吉田東伍記念博物館オープン 平成09.09.17 |
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